98年12月27日(日)
加瀬 2時間耐久レース(98年最終戦)  〜 第二節(苦闘)


田無サーキットに早々と乗り込んだ俺とカメ林は、田無サーキットの店長から 事前にizu@が預けておいたTF3シャーシ
を受取った。目印のAORcのステッカーを貼ったそれは、その後の苦難の道のりをみじんとも感じさせず、俺たちは
無邪気に喜んだ。
「他の皆が来るのは夕方だからまずはコースに慣れようぜ」
俺達は空いている田無のコースを堪能した。田無のコースは、この手のサーキットとしては長めのバックストレートと
180度ターンが組み合わさるインフィールドで構成され、ストレート重視のコースだ。
グリップも強力で、お約束のD25でガンガン食いつく。
バックストレートから高速コーナーを抜け(この時の微妙な握り具合で壁に張り付くか出遅れるかが決まる)
2つの180度ターン(ここの突っ込みがタイムに効きそう)を抜け、シケインを直線的に抜けられるようになるころ
だんだん楽しくなってきた。

すっかりコースに慣れてきたころふと時計を見ると、後発組が来る時間が迫っている。「う。やべえ」
余裕をかましすぎたようだ。
急いでTF3を走行可能な状況に持っていくべく作業開始だ。カメ林はタイヤテストに専念する。
加瀬は田無よりもグリップが落ちる事を見越していくつかのタイヤとインナーの組み合わせを試していた。

なんとかメカ(フタバ受信機FM、サーボ9402、アンプキーエンスNEW A01)を積み込み、田無の店長から譲って
もらったボロボロのボディをまとってさっそくコースイン。と、同時にネクタイ姿のかつよしとizu@が現れた。

TF3について一応簡単に説明しておくと、
京商ツーリングカーの第三世代マシンで去年リリースされたモデルだ。基本レイアウトは第一世代のEPスパイダー、
第二世代のTF2の伝統を受け継ぐものでその実力は各種ビックレースで実証済みだ。
TF2及びTF3にはそれぞれカーボンシャーシのRバージョンが存在し、さらにアトラスのフルオプションで固めた
強力なマシンも各地で暴れている。

TF3とはつくづく不思議なクルマで、タミヤより硬派でヨコモやカワダ、HPIとは確実に一線を画する独自コンセプト
カーである。まず標準が200mm幅というところからしてその存在感を主張している。流通している殆どの
ボディーが使えないのだ。
カーボンに比べると大分柔らか目のFRPシャーシ、そしてTFのアイデンティティとも言える極端に寝たダンパー、
巨大なリバウンド、たっぷりとしたサスストローク、そしてなぜか前後ギヤデフ。
素組みで車高がかなり高めの状態でもゆらゆらと路面をとらえつつ、それでいてフロントがキレこんでいく。
(但し最新のTF3R99では幅190mmのフルカーボンと流行りのカタチになってきているようだ)
ビギナーの域を一歩出た中級者の素材的な位置づけも感じる。もちろんアトラスバージョンでエキスパートを
十分うならせることもできるのだが。

話を元に戻そう。
とりあえず、なにひとつセッティングを施さずコースインした。すっかりコースに慣れた俺達はTF3を割と自在に
操ることができた。かなりの素性の良さに驚いたのだった。「これは、、いけるかも?」
使い古しのスポチュンはハイギヤード(100/41)とNEW A01とあいまってかなりのストレートスピードを叩き出す。
すぐさま、かけつけ1パックよろしくかつよしとizu@がテストドライブする。
「まだまだ切れ込みが甘いな」
二人のエキスパートの目が光った。即座にあるべき挙動と目標がイメージとして浮かんだようだ。
こうして本格的なセッティングがスタートした。

その日、izu@はあっと言う間にクルマを仕上げていった。カメ林が持ち込んだセッティングマニュアルを参考に、
まずはトレッドの190mm化からはじめ、フロントワンウエイ、そして低く固くという方向でダンパーをセットし
最初とは見違えるくらいの挙動に持っていった。
izu@は笑いながら言った。「こんなもんでどうかな」
その的確かつ素早い作業に誰もが驚いた。

既に閉店時間の深夜だったが、わずか一日の進歩に俺達は充足感を感じていた。
まだ耐久当日までには3週間近くある。あとは加瀬で最終調整をしてタイヤを決め、耐久用のパーツを
調達し、タイムを計って作戦をたてる時間もありそうだな。俺はその時そう思っていた。
 
 

次の週、最終セット決めを行う為、夜加瀬に集まったのがかつよし、カメ林、そして俺だった。
前回暫定で組んだダンパーをセッティングしなおし、適正なリバウンドと硬さを確保。またステアリングまわり
の強化や4ドアボディのテストなどを行った。
加瀬はやはり田無よりグリップが落ちるので少々アンダーが顔を出し始めた。
が、アライメントでいけるのかな?と楽観的に俺は考えていた。
ところが、この日眠っていたレーシング魂に静かな火がついた男がいた事にその場では気づかなかった。

男の名はかつよしだった。
俺のアバウトで楽観的で甘い考えとは裏腹に、レースで勝つ為に必要なロジックがかつよしの頭の中で
急速に組み立てられていた。かつよしは当初招待参加程度の気持ちだったらしいが、この瞬間から俄然
クルマの仕上げに没頭していく事になる。
彼は、以前からの経験と耐久に出場する常連メンバーの実力から、少なくとも試合として成立するレベル
に達しなければならない事を誰よりも強く思っていたに違いない。

尚、耐久準備奮戦記は別にアップしているので、セッティングの詳細はそちらを参照されたし。

その後の経過についてはリアルタイムでアップされた掲示板の記録を見れば一目瞭然だろう。
連日会社の帰りに田無、そして加瀬サーキットに直行しては、トライ&エラーを繰り返した。
かつよしは自らリーダーシップをとり、持ちダマを駆使しながら苦闘を続けた。
時々カメ林がナイスな助言をしたりいろいろなタイヤを試したりした。俺は、、取りあえず買い物をした。買いすぎた。。

そしてクルマは、、、かつよしが描いたイメージ通りには仕上がらなかった。。。。

ここに小さくまとめてしまうにはあまりに苦悩の道のりだった。が、簡単に書こう。
加瀬でタイムを縮めるには1コーナーの突っ込みと狭く屈曲したインフィールドの動きを両立させる必要が
ある。この迷宮で皆苦労するのだが、要は弱オーバー的なフロントの動きとリヤのグリップ感、そして耐久
という要素を加味した安定感(特にスロットルオン・オフでの挙動変化を無くす)という難しい鼎立を施す
と言うことだ。
上記時点でもある程度バランスはとれていたのだが、そのバランスを崩してでも、レースに通用する1ランク
ないし2ランク上の挙動を手にいれなければならない。そうかつよしは考えたはずだ。

よりクイックな挙動にするために、Rバージョンのカーボンシャーシに換装した。ここまで残っていたリヤの
ギヤデフはボールデフになった。ダンパーは立てられバネも固くなった。車高はさらに低くなった。
さらにリヤのスキッド各や前後キャンバーのバランス、大き目のトーアウトも試みた。

結果、スプリントばりの切れ込みが手に入った。さすがだ。かつよしの好きなラインどりに合致した特攻仕様
だった。そしてバランスが崩れた。

カメ林は悲鳴をあげた。「この奥巻きは、、、一発は出るけど耐久では、、、、」
かつよしは、微妙なスロットルワークでコーナーを駆け抜けるが、やはり耐久を考えると厳しいレベルだった。
とにかく巻きがとれなかった。リヤの鬼キャンや前後のタイヤのグリップ差で逃げる手もあるが、極力転がりを
悪化させたくない。そう、高次元でバランスさせる事が必要なのだ。かつよしは最後の最後までこだわった。

最終的な調整は25日という耐久の前前日に加瀬で行われた。
フロントのグリップをやや逃がすダンパーのセットとリヤのリバウンドを増やしてなんとか巻きもおさまってきた。
が、やはり不安を残すセットだった。
俺は一発のタイムは苦手だが、パーシャルで1コーナーを抜けるのは得意だった。慣れてくると俺の腕でも
スロットルワークでクルマをある程度振り回せるようになった。
俺はそれまでのかつよしの奮戦ぶりと、そして本当に大丈夫だ、という意を込めて言った。
「かつさん。これでいけるんじゃないかな」
「そうだね。あともう一息だね」
あくまでもかつよしの目標は厳しいようだった。

この日、とても悲しい発表があった。
カメ林が落胆の表情を隠さずに「オレ耐久でれないわ。子供の具合が悪いんだ」
かつよしと俺は衝撃を受けた。もちろん家族第一という事は重々承知だ。しかしここまで一から共に戦って
きた仲間が離脱するのはなんとも寂しい。しばしの無言の後、カメ林は
「トミーにピンチヒッターをお願いしようよ」 と言った。
「カメ林さんが良ければ。。」
「もちろん。。。。」

その横で前回の優勝チームが練習走行を行っていた。
まるで23TのスプリントAメイン予選アタックのような凄まじい走りだった。俺の考えが甘かった事をこれでもかと
教えられた。

カメ林は帰り際に、耐久用のボディを置いていった。「すまんが、仕上げまでできんかった」
それは素晴らしい彩色を施されたまぶしいボディだった。ただでさえ忙しい時にここまでやってくれた事に素直に
感謝してそれを受取った。「AORcのステッカーでバッテリ仕上げるぜ」俺は固く約束した。

とにかくここまでやるべき事はやったのだ。あとは当日ベストを尽くそう。そう誓って俺とかつよしはサーキットを
後にした。
 

さっそくトミーに連絡をした。「応援には行こう思っとったさかい、やらせてもらいまっさ」
仲間というのは本当にありがたいものだ。
トミーは加瀬サーキットは一度しか走った事がなかった。あとは当日に朝から練習してなんとかレース走行が
できるよう信じるしかなかった。

カメ林から受取ったボディをカットしシャーシにセットした。ウイングを取り付けステッカーを貼った。
AORcの初レースを飾るにふさわしい素晴らしいボディだった。
それらが終わって荷物をまとめたのが耐久当日の午前3時半だった。
 
 
 
 

いよいよ注目のレース当日。どうなるAORc!??      第三節(光明)へ つづく


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