2005年08月28日

さよなら Great Neck

ワケあって、引っ越す事になりました。
初めての海外生活を営んだGreat Neck 2年8ヶ月 本当にいろいろなことがあったような
あっと言う間に過ぎたような・・・

当初はいろいろトラブルも出たが、住めば都 平屋構造は誠に使いやすかった
会社も近く、フラッシングやマンハッタンも近く 利便性も抜群だった
環境も良く、治安も良く、近所の人たちは親切で、小学校も歩いていけた
緑も多かった 住民専用の特典も多かった

住民のほとんどがユダヤ系で、行事や祝日の扱いなど日本人にはなじみの薄い習慣も
沢山あったが、住んでいる分には全く問題なく、クリスマスがちょっとさびしいかな、という程度だった

そんなグレートネックとの生活に終止符を打ち、新しい世界からスタートする時がきた


長らく日本の夏休みを堪能していた、副隊長、隊員A/BがNYに戻り、戻った瞬間から引越しの
準備。猶予期間は5日しかない! 時差ぼけと戦いながら大慌てで箱詰め作業を行っていた
今回は、引越しの準備・各種手続きなど実作業のほとんどを副隊長が担当した。
誠に、よくやってくれた。たくましくなった。NY生活スタートした時から大きな進歩と成長があった。

どんどん乱雑になっていく家の中
 

箱の数は200を余裕で超え、引越し業者もびっくりのへビー級!(^ ^;
ビリヤード台は、この家の大家の持ち物なので持っていけないが、地下室にそろえた卓球台他大物
遊具はすべて持っていく。

ゴミを捨てている暇もなく、結局全部箱に詰めてもっていくハメになった・・・合掌

雲の多い晴れた土曜日、ついに引越しは結構された


トラックが横付けされる

今回、トラックはこの一台のみで、作業員は6名だったが、あまりの荷物の多さに一日では終わらず
丸2日かかりで引越しを行った。初日に6割がたを終え、残りの4割を二日目に行うという感じだった。


どんどん運び出されている荷物
 

引越し屋さんの作業が始まると、正直あまりやることは無いのだが、なんだかよくわからんけど
異様に疲れた。昼から居眠りする始末・・・

そして、家の中は空になっていった。 赴任してきて、家を決めたあの瞬間がよみがえる・・・
 
そして、3年近くの時を刻んだ、この家から 生活のにおいが消える

近所の人たちには、本当に良くしてもらった。連絡先を伝え涙のお別れ・・・

この夫婦には、ABBAのコンサートだと誘って、行ってみたら偽ABBAだったっけ・・・(^ ^;
遊園地のタダ券をもらって一緒に行ったこともあった
副隊長と隊員Bは、良く平日の昼間にあがりこんで、昼飯を食べさせてもらっていた(^ ^;
数々の思い出が走馬灯のようにめぐる

最後に家の前で家族集合写真を撮る

さよならグレートネック!


引越し先は6月に決めていたのだが、いろいろ検討した結果、かなり東方面に後退することにした。
イーストエンドって感じ(^ ^;

通勤距離もいままでから3倍になるが、同じくらいの家賃なら家は広くなるし、カントリーライフもこれ
またいとをかし・・・・
今回は、文句が出ないよう副隊長の全面的な監修によって、家は選択された(^ ^;

尚、高速道路の入口から近いこともあり、朝の通勤時間は、渋滞にひっかからなければ20分程度で
一安心した。


こんな感じ
 
この地区によく見られる、スプリットタイプと呼ばれる構造の家だ
居間が中二階になっている。
築年数は40年くらいたっているが、よく手入れされており、直前まで大家さんが住んでいたので
コンディションは結構よさそうだ。まあ、そうは言っても水まわりなどいろいろトラブルは出るんでしょうが・・

ガンガンと引越しの箱が運びこまれてくる。
 
当分ダンボールにまみれての生活だ

地下室の広さはだいぶグレードダウンしたが、卓球台他2−3の遊具はなんとか置けそうだ
 

一階に遊び場確保(^ ^;


あと、イーストエンドだけあって、庭が広くなった これはちょっとうれし〜
 
さっそくバトミントンのコートなんぞを設置してみた


引越し終わって疲れ果て、とりあえず焼肉で乾杯

へとへとになったが、なんとか8月中に引越しを完了することができた。
新しい学校の登録も、副隊長が行い、9月2週目から、隊員Aは中学2年! 隊員Bは、義務教育のキンダー
に通う事になる。
また、各自生活を一から立ち上げ直しで大変だが、この試練を乗り越えてまた一回り大きくなるのだ。
やることは沢山あって大変だが、新しい世界の新しい発見が待っていることだろう。
気分を変えて一から出直しや!



おまけ

グレートネック商店街に突如出現した、だまし絵の壁画
ドアも人間も全部絵です!



結論: ありがとう Great Neck またいつの日か・・


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